「更生のための刑事弁護」について
私中村は、北海道での裁判員裁判第1号事件を担当しました。従来の職業裁判官による刑事裁判では、証拠からはっきりと認定できない「更生の意思」というものはあまり重視されず、これまでの裁判例で積み重ねられてきた認定手法により、客観的に淡々と、罪の重さが認定されてきましたので、弁護士による弁護活動も、更生という点に手が行き届かず、情状に影響を与える部分について技巧的に、言葉でそれを訴えるだけの極めて形式的で表面的な活動に終始してきたという面は否めませんでした。
ただ、国民の一般感覚からしても、そういった、刑を下げるという弁護活動の前に、新たな被害者を生まないため、また、被害者に対して、社会に対して、大人としての責任を取ることから始まる「責任」という発想を芽生えさせ、自分の行動を理性から抑制して、堂々と胸を張 って誇らしく生きることができるように働きかけることが重要であると思います。
法整備や行政・福祉・医療によるその点の支援が不十分であり、今後もまず万全の対応は期待できない中、その働き掛けができるし、するべきであるのは、犯罪を犯した方に寄り添う弁護士しかいないと、私は検事の時代からずっと思っており、検事の立場においてできる限界はありましたが、そのような働きかけを、検事としてしてきました。
そして、検事から弁護士に転職した後は、検事時代には立場上限界のあった、もっと踏み込んだ「更生のための刑事弁護」に従事するようになりました。上記の裁判員裁判でも、「被告人を更生させるのは、弁護士の責任であり、その取り組みをしてきました」とはっきり伝え、その取り組みの結果を、そのまま裁判員に伝えました。
国選弁護であっても、私選弁護であっても、また、事案の軽重に関わらず、私は、どの事件でも、更生の可能性がある限りは、ただ単に裁判で軽い刑を取得することを目的とするのではなく、裁判は裁判、それは裁判官が行為に対する責任の一つとして下す裁定に過ぎず、それとは別に、罪を犯した方の今後の人生のために、更生の意欲と可能性がある限り、更生のための活動に多大な時間を割いた刑事弁護を行っています。それが、私が法曹を志した最大の動機であり、そこに一定の成果を見出して、弁護士人生を全うしたいと心に決めています。
通常の刑事裁判では、上記の更生のための活動について、裁判所は十分に時間を取って耳を傾けてくれないため、それ以外の部分をメインに裁判所では紹介せざるを得ない実情がありますが(そうであっても、裁判とは関係なく、多大な時間を割くべきです。裁判がどんな結果になろうとも、本人のためになる、確実な刑事弁護活動を遂げることが重要です)、裁判員裁判では、裁判員が、「この人が更生できるのかどうか」「また罪を犯すのかどうか」、素朴にその部分に最大の関心を寄せることははっきりしていたので、上記の第1号事件では、普段から取り組んでいる「更生のための弁護活動」をそのまま裁判員にゆっくり時間を掛けて紹介した結果、「更生のための道筋が示されている」と判決に明示していただき、少なくとも裁判員には、きちんと耳を傾けていただけたのではないかと思っております。裁判から5年が経過した今もなお、その結果を果たすため、本人とは連絡を取り合っています。
このような意味では、裁判員裁判は、刑事事件の本質、被告人や被害者にとって必要な、「更生への取り組み」「再犯防止策」を真剣に弁護士にも考えさせ、実践させるようになったきっかけになっているという意味では、私は、重要な意義があると思っています。今までの刑事裁判は、その本質を見失った、当事者のためではない、裁判官、検事、弁護士という法律家のための流れ作業的な裁判だったと言わざるを得ないと、個人的には思っているところです。
裁判員裁判においては、このような「更生への取り組み」や「再犯防止策」って一体どうなっているの?国による支援は何もないの?刑務所内で、どんな教育がなされているの?こんなことしかされていないの?え?裁判官も検事もよく知らないの?・・、そんな、当り前の疑問が当たり前に徐々に明るみとなって新聞やニュースでも指摘され、ようやく国や各機関も、そこに真剣に目を向けて、各種方策と連携を考えるようになりました。
人は何故、犯罪を犯すのか − 弁護士 中村 浩士 −
(1)私が検事を目指し、検事になった動機は、大変にお恥ずかしながら、司法試験の受験を決意する大学2年生の秋までは悪いことを繰り返していたため、大半が悪いことをしたことがないこの業界の方よりも、犯罪を犯すものに近い立場で話を聞き、理解しながらきちんと供述を引き出せるのではないか、犯罪を犯した者に一番近い立場において、更生できる人については柔軟な処分を決定して、更生の手助けができるのではないかといった思いでした。
(2)私自身が悪いことを繰り返していたのは、それを一緒にやる仲間が身近にいたこと、守るものや目標もなく、責任を意識することもなく、自尊心もなく、社会に対するどうでもよさ、無関心という前提があり、お金を必要としたり、見栄や自分を大きく見せたいとの思い、悪いことを普通に長年繰り返していたことによる規範意識の鈍磨等々、様々な要因がありましたが、命懸けで勉強をして司法試験に合格しようと覚悟を決めて、人生に明確な優先順位を設定した後は、その優先順位の阻害要因となるだけの悪事は、ぴたりと辞めることができました。
(3)検事になり、実に様々な方の取り調べに当たりましたが、自分と同じ程度の軽い動機から悪事に手を染めた、語弊はあるかもしれませんがまだ可愛い悪ふざけのレベルの方については、一度、逮捕や裁判ということまで経験することだけでも、自分の行動に対する責任と制裁を自覚し、悪いことを止められる人は少なくありませんでした。
ただ、自分とは違い、何度も何度も悪いことをして捕まることを繰り返す人、あるいは、逮捕され、裁判まで掛けられて刑務所に入ったのに、刑務所では多くの人が、「何故捕まったのかについて反省会」を行っているという現実。私は、検事としてこのようなたくさんの方々に接する中で、人は何故悪いことを止められないのかについて、自然と大きな関心を持つようになりました。
(4)窃盗や詐欺、横領等のいわゆる財産犯を繰り返す人の多くは、職がなくお金に困っている人、あるいは、少しでも自分の財産を減らすのを嫌い、自分の金を使うのは嫌だけれども、楽して手にしたお金で高い買い物をしたい人であったり、若い友達同士で悪乗りだったりします。金がなく、「背に腹は代えられない」人は、金がまず必要だという自分の中での人生の誤った優先順位が出来上がってしまっており、更生のためには、借金の整理だったり、職を見付ける作業がまず最優先課題となります。
そして再犯の防止のためには、正しい金銭感覚であったり、職に就いて勤労する大切さの自覚の覚醒、小さな成功体験を積み重ねるスモールステップ等の様々な手法を駆使しながら、人格面での矯正作業が必要になってきます。
友達同士での悪乗りである場合には、交友関係の改善、付き合い方の指導が不可欠となり、何が問題なのかを考えてもらう必要があります。
喧嘩を繰り返す人の多くは、手をだしたあことによって得るものと失うものを比較した場合に後者のほうが圧倒的に大きくなるように、確固たる目標を持たせること(因みに私はそれで喧嘩をやめました)、あるいはあ、それができない場合には、①カッとなる→②思い知らせる必要がある→③手を出す というのが癖になってしまっているので、そのサイクルを断つ思考訓練を重ねる、ということが必要になります(後述の依存症の一種です)。
(5)検事として、犯罪を犯した人に対して、「何で?何で?」と何度もその動機について興味を持って追及し、犯行に至った原因を本人に考えてもらうことを繰り返すうちに、犯罪を犯す動機は、人によって実に様々であり、自分の常識や経験だけで早合点して考えることの危険性を痛感しました。
すべての人の環境を自分のものとして的確に理解できない限り、真相は分かってくれない、たかだか頭でっかちな専門家であるとの謙虚な自覚と差引計算が、必要不可欠だと思っています。それほど、刑事事件とは、奥深いものだと思っています。
ただ、一つ言えることは、犯罪を犯す多くの方が、定職がなかったり、借金を背負ったりしていて、本人は「背に腹は代えられない」と思い込んでしまっていたり、あるいは、定職に就いてもお金に特に困っているわけではなくても、確固たる目標や本気で守りたいものがなく、つい安易に法を犯してしまう、これまでの誤った人格形成から法のハードルが低くなってしまっている者にとっては、友達との悪乗りだったり、ついちょっとした出来心等の外部的刺激があると、自分の人生の中での確固たる優先順位(つまり、法を犯して捕まってしまったら全てを失うので、それを避けることが第一優先順位という歯止め)がないために、その刺激に負けて法を犯してしまうというパターンが圧倒的に多いということは間違いなく、やはり、一般的に言われているとおり、やりがいある仕事を見付けて、金に困らない環境を整え、守るものや、築きを構築することは、とても重要なことであるということです。
(6)ただ、捕まってくる方の中には、定職があり、守るものがあるのに、本当にどうでもよい、欲しくもない安物をつい手取って盗んでしまうことを繰り返す方、性犯罪を繰り返してしまう方、大麻や覚せい剤等の薬物使用を繰り返してしまう方、ストーカー行為を繰り返してしまう方がたくさんおり、悪いことを繰り返してしまう要因について、別の観点からの検証も必要であることもまた、検事として知ることになりました。
(7)私の刑事弁護のスタンスは、更生の可能性がある限り、自分の汚い部分も全てさらけ出して人間対人間の付き合いをし、本音で真剣に寄り添って、その支援をすることにあります。
やっていないのに罪に問われている否認事件は別として、罪を認めている自白事件であれば、まず、最初に、①そのような犯罪を犯してしまった直接の原因について、本人と対話を重ね、次に、②何故、そのようなことがあったくらいで犯罪を起こしてしまうような人格が形成されてしまったのか、生育状況にまで遡って、人生においていつ、法のハードルを乗り越えて悪いことをしてしまったのか、その動機は何なのか、どこからずれて、どのように、どういうことが要因で、更に規範意識が低下していったのかについて考えてもらいます。
ただ、一つ言えることは、犯罪を犯す多くの方が、定職がなかったり、借金を背負ったりしていて、本人は「背に腹は代えられない」と思い込んでしまっていたり、あるいは、定職に就いてもお金に特に困っているわけではなくても、確固たる目標や本気で守りたいものがなく、つい安易に法を犯してしまう、これまでの誤った人格形成から法のハードルが低くなってしまっている者にとっては、友達との悪乗りだったり、ついちょっとした出来心等の外部的刺激があると、自分の人生の中での確固たる優先順位(つまり、法を犯して捕まってしまったら全てを失うので、それを避けることが第一優先順位という歯止め)がないために、その刺激に負けて法を犯してしまうというパターンが圧倒的に多いということは間違いなく、やはり、一般的に言われているとおり、やりがいある仕事を見付けて、金に困らない環境を整え、守るものや、築きを構築することは、とても重要なことであるということです。
この作業は、本人だけでなく、本人との面会や文通等の手段により、家族や交際相手の方にも一緒に共同作業として行っていただけると、より効果的です。そういったことを考える手助けになるたくさんの書籍もありますので、それを読んでもらいながら、弁護士が寄り添い、まずは原因の分析(スポーツで負けた時に敗因分析をするのと似たような作業です)をします。
更生の意欲が少しでもある人は、最初は無関心ですが、周りの真剣なサポートがあれば、次第にその作業に関心を寄せていくものです。多くの方が、本気でそのような支援をこれまでには受けたことがないはずであり、本気で支援することが絶対不可欠です。
(8)そして、ある程度原因が見えてきた段階で、対策を一緒に検討していきます。犯罪を犯す多くの方に共通しているのは、自己の行動によって招いた結果を、自分の責任で処理しなければならないという「責任発想」に欠けている点です。
人や環境のせいにせず、人に頼らず、自分としっかりと向き合い、自分の手で、自分の犯した罪の責任を取ることからの共同作業を行います。
仕事さえ見つかれば解消される場合には、就職支援についても弁護士が一緒になって考えます。
留置場や拘置所で一番たくさんの時間を費やすしているのは、前向きに考えて目標を見つけようと動き出し、考え始めた方に各種書籍や資料を入れて、一緒に今後の仕事と生活設計を検討して、そこを出てからまずやるべきことから始める、人生の現実的な設計図を描いて人生を決める作業です。
資格取得の勉強が必要であれば、その指導助言もします。崩したくない「築き」を構築し、自分の人生の中でも優先順位を意識させ、交通整理していきます。家族の真剣な本音での対話がなかったならば、その橋渡しも実現します。
借金の整理が必要であれば、任意整理や破産手続、個人再生手続を実施します。生活保護の受給手続が可能であれば、その支援もします。
その他、法的に解決が可能なものがあれば、訴訟等により弁護士が解決を図り、犯罪を誘引する不安な状況の解消に努めます。
刑事事件と民事事件は表裏に関係にあり、両方を解消することができる専門職が、弁護士です。
犯罪の原因を除去し、再犯を防ぐために、「王道」や「マニュアル」はありません。自分の中に時限爆弾が仕込まれ、家族を巻き込んで爆発することが分かっていたらどうするでしょうか?絶対にそれを阻止するために、ありとあらゆる方策を、自分の頭で必死になって、命がけで考えるはずです。再犯の阻止も同じです。
真剣になって考えれば、方策は見えてきますが、そうでなければ見えてきません。本人と家族と弁護士とで、時には他の専門家の手も借りながら、必死に、自分の頭で対策を考えることがまず必要不可欠です。
(9)ただ、原因を突き詰めても、明確な答えが出てこない場合があります。考えても考えても分らない場合には、精神科の医師との面会を実現させ、何かの障害を抱えていることはないか、ないとしても、医学的な見地から考えられる原因や背景事情がないかを探ることがあります。
このような作業をして、初めて悪いことを繰り返してしまう原因が見えてくることもあります。
何故止められないのか、医学的見地からの検証を抜きにしてはなかなか分かりにくいものの一つに、『依存症』の問題があります。
覚せい剤や大麻の使用を繰り返しては、繰り返し捕まる方の多くは、決まって、「依存はしていない。やめられないわけではなく、本気でやめようと思えばやめられる」と口にします。
でも、また捕まるのにやめられていないわけで、「やめられなくなってしまっていることを自覚していない」、依存症の典型なのです。
逮捕されて身柄を拘束されるときに、「やめたい」と思っているその気持ちが本物だとしても、またすぐに繰り返して捕まってしまう。決して、やめたいよいう気持ち自体が嘘ではないことも多いのに、なぜまた繰り返してしまうのか。
スピード違反で摘発されることにも共通した部分があると思います。スピード違反で捕まったことがある人は誰しも経験していることだと思いますが、捕まった直後は、もうスピードはださないようにと思いますよね。でも、数日経った後には、ごく自然と、アクセルを踏み込んでスピード違反を犯している。頭で考えて制御する前に、体が条件反射のように勝手に動いてしまっているのです。薬物使用や、性犯罪、盗癖(クレプトマニア)、放火、ストーカー、アルコール依存、リストカット、セックス依存、大量服薬、PTSD等々、『依存症』と呼ばれるものの基本的なメカニズムは、根本において共通していると言われています。
(10)依存症のメカニズムについては、医学的見地からの様々な研究が進められています。千葉県の下総精神医療センターの平井愼二の推奨する条件反射制御法についてご紹介します。
下総精神医療センターでは、嗜癖行動の生理的メカニズム解明につながる発見があり、それに基づく理論を2006年6月から治療に反映させ、この治療経験において新たに種々に現象を把握し、飛躍的に有効な治療法を確立したとしています。
その基本的な考え方とは、生体による全ての活動あるいは行動は、生体内外の環境からの刺激に対する反射であり、反射には、①生来的で無意識的な無条件反射(例えば、梅干しを口に入れると唾液が出る)、②学習による無意識的な第一信号系条件反射(日本人は、梅干を見ただけで唾液が出るが、アフリカ人はでない)、③学習による意識的な第二信号系条件反射の3つに分けて考えるものです。そのうち、③第二信号系条件反射は人間のみが持ち、言葉が信号となる思考であるとします。
さらに無意識的に生じる定型的な行動は、一つの動作を司る反射回路の反応が次の回路の刺激となって、反射回路が連鎖的に作動することにより動作が連続し、一連の行動として成立するとしています。 「わかっちゃいるけどやめられない」という言葉は、依存という病態を的を射て表現しており、依存という病態のメカニズムについて次のように説明しています。
生理的報酬(覚せい剤であれば、使用後に得られる快感等の薬効、性犯罪であれば、性的な満足)を得られる物質の摂取あるいは行動を再現するのが、②の第一信号系条件反射の連鎖の行動です。この再現を状況に応じて不適切と判断し中止しようと働くのが第二信号系条件反射、つまり思考であるとしっています。特定の生理的報酬の獲得を過去に過度に反復して成立した第一信号系条件反射の連鎖の作動が固定的となり、現在の状況を判断して柔軟に対応する第二信号系(思考)の作動性よりも第一信号系条件反射の連鎖の作動性が優先することが多くなった人間が、依存とよばれる病態を示すことになります。
つまり、②の第二信号系条件反射(思考)は報酬の獲得はやめるべしと「わかっちゃいるけど」、第一信号系条件反射の連鎖の作動性が優勢であるために「やめられない」、という説明がなされています。
以上のとおり、平井先生の理論をご紹介させていただきましたが、要するに、覚せい剤使用や性犯罪、窃盗を繰り返して、生理的報酬(快感や望んだ目的の達成感)を得ることを繰り返すと、それが②の後天的な条件反射として構築され、③の理性でこれを抑えることが困難となり、理性で考えて制御する前に、条件反射として繰り返してしまうことから、覚せい剤や性犯罪、盗みを、「やってはいけないと、わかっちゃいるけどやめられない」という状態に陥るというものです。
その条件反射としての負のサイクルを解消するための方策も研究が進んでおり、例えば覚せい剤であれば、これはダルクでも取り入れられているそうなのですが、注射器の疑似キットを用いて、腕に注射器を指す動作までを行うけれども、当然覚せい剤は入っていないので、生理的報酬を得られません。このことを何度も何度も繰り返すことにより、覚せい剤を使えば生理的報酬を得られると体が覚えこんでしまって構築された後天的条件反射のサイクルを壊すというものであり、この理論は、性犯罪、盗癖等のすべての依存症からの離脱へ適用があり、また、犯罪を犯した者ばかりではなく、犯罪被害による大量服薬やリストカット、PTSDからの離脱にも応用ができるとのことです。
性犯罪については、性欲をコントロールすることに一定の効果のある投薬治療の研究もなされているようです。アルコール依存には抗酒剤を用いて、飲酒による快楽を剥奪することも合せて検討されるべきです。依存症のメカニズムと対処策の手法は、薬物依存とほぼ共通しています。
当職が担当した窃盗事件では、お金をお待ちで、その安物を盗むことなど全く割に合わないのに出所後やはり手を出して10回以上も刑務所行きを繰り返している明らかな盗癖(クレプトマニア)をお待ちの方について、その指摘をして、札幌マックという施設に一緒に行って、施設長から盗癖についてレクチャーを受けさせたこともありました。
彼によれば、今までの10回以上の裁判で一度も、弁護士、警察、検事、裁判官から盗癖を指摘されたり、疑われたことすらなかった(このこと自体が大変な驚きでした)と涙を流して更生の可能性を喜んでおり、刑事司法の在り方について大変考えさせられました。
(11)更生を考えるにあたり、その原因を決めつけて考えるのは妥当ではなく、もう止めよう、目標を見付けようと根性論的な部分だけに偏っても危険な面があるし、その逆も然り、安易に医学的見地からの検討に頼ることも危険です。双方からの可能性を慎重に見極め、その方その方の個性に着目して原因を的確に捉えて、両面からの対策を検討していくことが必要不可欠だと、私は思っております。刑事事件では、常に「本当にそれで良いのか?」という疑問を持ちながら悩むことが大切であることは、検事時代に一番教えられたことです。
就職支援を始めとする各種支援については、保護観察所等からの実際の受け入れを長年行って更生支援している尊敬すべきライオンズクラブ等の私の人脈を駆使するほか、行政・福祉との連携を実現して支援を行います。また、医学的見地からの支援については、そのケースに適した専門の医師や医院をご紹介して、橋渡しを実現します。上記条件反射制御法による依存症からの離脱プログラムを実践している医院が札幌にも複数存在します。近時は、札幌の長谷川直実先生にご相談する機会が多く、大変に親身にご相談に乗っていただいております(http://www.hotto-station.com/)。
(12)そのほか、少年犯罪や若年者の犯罪においては、広汎性発達障害やADHD、アスペルガー障害等の可能性と常に視野に入れながら、効果的に対応していくことが必要不可欠です。
以上の医学的な視点は必要不可欠であり、刑事弁護人は、その面からの研鑽を積まなければ、弁護士をする資格がありません。
ただ、これも、上記同様、「決め付け」は禁物です。これらの障害を抱える人が犯罪を犯すわけではないのです。犯罪を犯す原因は、他にあります。これらの障害を発見して、それが原因だと思うのは誤りであり、別の原因をきちんと発見し、障害を踏まえて、その原因解消の対策を構築する必要があります(このことは、薬物等の依存についても同様であり、依存に対する医学的な対処方法を施すだけでは、最初に手を出してしまった原因の解消にはなっておりません。その部分の手当ても同時に行われなければ、意味がないのです)。
世の中、悪いことをして、それをあるきっかけから止めた人は、わんさかいます。むしろ、私は、その方が通常だと思っています。法曹や医療業界にはそのような人が少ないため、悪いことをする人は「特異な人」という前提でどうしても見えてしまいがちで、どうしても、難しく難しく考える傾向がありますが、誰が特異な人かは、判断者次第です。木を見て森を見ず、とはならないよう、正しい知識に基づく、多角的視点からの全体的な考察が不可欠です。
(13)犯罪を犯す方には、本当に様々な背景事情があり、各々のタイプもあって一概には言えませんが、負けん気が強く、自尊心が強いけれども満たされてない、そんな方が多いように思います。
男に必要なのは、負けん気と責任しかない。
責任を伴わない負けん気の実現ではなく、責任を伴う負けん気の実現のための人生の設計図を一緒に描いて実行する、これが更生のための刑事弁護の基本姿勢であると心がけています。
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